古い映画は死んだ - ニュー・ジャーマン・シネマ

50年代の、大衆には受け入れられても内容的には陳腐なものが粗製乱造されていた低迷期を乗り越えて、ドイツ映画界に新しい波がやってくるのが1962年2月のこと。

ドイツ映画史上で「若き映画の誕生の瞬間」とみなされる、いわゆる「オーバーハウゼン・マニフェスト(Oberhausener Manifest)」が宣言されたのです。

これは、既存の映画にあきたらなくなった26人の若いドイツ人の映画作家集団が、個々の監督、脚本家の作家性をより尊重した、芸術としての長編映画を作製しようという意図で宣言したもの。

このマニフェストをきっかけに、その後1960年代から80年代にかけて、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、ヴェルナー・ヘルツォーク、フォルカー・シュレンドルフ、そしてヴィム・ヴェンダースといった、いわゆるニュー・ジャーマン・シネマの旗手たちが台頭してきます。


お隣のフランスで、一足早くやってきていたヌーヴェルヴァーグの影響も受けながら、ドイツ人作家のシュレンドルフ監督の『ブリキの太鼓』(1979年)、ファスビンダー監督の『マリア・ブラウンの結婚』 (1979年) 、『クリスチーネ・F』(1979年) 『ドイツ・青ざめた母』(1980年) など、ぴりりと作家の個性が光る作品が多く作られました。

いずれも、女性の生き方、青少年の麻薬・売春問題など、題材がシリアスなせいもありますが、どこかきむずかしく暗い映画が多いという印象。

常に額にしわを寄せている、というイメージでしょうか。


そんな監督たちの中で注目すべきはやはり、独断と偏見でもって、ヴィム・ヴェンダース監督いちおしです。
ヴェンダース監督の作品群の中でも代表作といえるのは、ロードムービーの金字塔といわれる『パリ、テキサス』(Paris,Texas, 1984)や『ベルリン・天使の詩(Der Himmel über Berlin,1987)」(人間の女性に恋してしまう中年の天使というファンタジーな役どころを、名優ブルーノ・ガンツが演じていましたね)など。

ヴェンダース監督はその後も、ごきげんな音楽映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(Buena Vista Social Club 1999)や、名女優ジェシカ・ラングの抑えた演技が光る『アメリカ、家族のいる風景』(原題: Don't Come Knocking)など、国内外を問わず、意欲的な制作活動を続けています。


同じ頃に、どこか哀愁を帯びた主題歌とともに、日本でもミニシアター系でヒットしたのが、『バグダッド・カフェ』(原題:Out of Rosenheim、英題:Bagdad Café) 。 監督のパーシー・アドロンは必ずしもニュー・ジャーマン・シネマの監督ではないながらも、忘れられない印象を残す作品です。


アドロン監督は寡作ながらその後も淡々と映画製作を続け、近年では作曲家マーラーとその妻アルマの愛と葛藤を描いた伝記映画
『マーラー 君に捧げるアダージョ』(Mahler auf der Couch)が記憶に新しいですね。

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