19世紀の終わりに、世界初の映画が登場して以来100余年。
最初は音声もなく、わずか数秒・数分の短いシーンのつながりに過ぎないものだったのが、
やがて物語性を持ち、サイレントだったのがトーキーになり、現在では3D映画なども登場するなど、
常に発展を続けてきた映画という芸術。
ドイツでもこの芸術は、19世紀後半のかなり初期から楽しまれていました。
当初はまだ諸外国からの映画を上映するだけでしたが、
1917年、ドイツにおける映画産業の国営化のはじまりとしてのウーファ(UFA, Universum Film AG の略)が、
第一次世界大戦のためのプロパガンダ映画や公共映画を制作する制作会社として、
政府によりベルリン郊外ポツダムに設立されました。
一方、ミュンヘン郊外のグリュンバルトにもバヴァリア・フィルム(Bavaria Film) が1919年に設立されて以来、ファスビンダーやペーターソンなどドイツの監督のほかにも、ヒッチコック、ワイルダー、ウエルズ、ヒューストン、キューブリックなど、国際的な監督たちも次々とこのスタジオで映画を撮影しました。
さて、20世紀前半ドイツで製作された映画の中でも有名なものは、
サイレントでありながらSF映画の古典的大作とよばれる『メトロポリス』 (Metropolis, 1926)、
トーキー初期のサスペンス映画『M』 (M – Eine Stadt sucht einen Mörder, 1931)
などのフリッツ・ラング監督作品、
第二次大戦時に、ドイツのナチス等から全面支援を受けて撮影された
『意思の勝利』(Triumph des Willens, 1934)、
ベルリンオリンピック大会を、移動カメラを用いて斬新なカメラアングルで記録した
高い表現力の傑作『民族の祭典(オリンピア)』 (Olympia , 1938)
などのレニ・リーフェンシュタール監督作品が上げられます。
(なお、リーフェンシュタール自身の回想録「回想-20世紀最大のメモワール」
という本も出版されています。)
その他にも、マレーネ・ディートリッヒを一躍スターに押し上げた『嘆きの天使』(Der blaue Engel, 1930)や、
日本でも人気の高い『会議は踊る』 (Der Kongress tanzt , 1931)なども、
この時期のドイツを代表する映画といえるでしょう。